【講義】古代の中央政治を捉える②
桓武朝~嵯峨朝にかけて、律令国家体制の整理・再編が進む中で、蔵人頭や検非違使などの令外官が設置されました。
宮廷貴族社会へ
これにより、天皇は国政に関する重要な職掌・機能を直接掌握できるようになり、権力が強化されました。院宮王臣家(墾田や賜田を集め、天皇との個人的な関係を利用して権勢を誇った中央の一部の貴族)が登場したのも、天皇の権力が強化されたことによって、それを利用することができたからです。
この動きは、藤原北家の台頭を促す背景となりました。藤原北家出身の藤原冬嗣は、蔵人頭に任命されると、嵯峨天皇の信任を得て、発言力を増していきます。冬嗣もその子良房も、天皇家と姻戚関係を結び、個人的な結びつきを強めたことで、朝廷内での権力を強めたのです。
9世紀は、天皇権力が確立し、天皇を中心とする官僚政治が安定してきた時代といえます。これは、あくまで、天皇「個人」というよりも、天皇という「地位」が重視されたとも言えるでしょう。官僚政治が安定しているからこそ、幼帝の即位が実現できるのです。そう、天皇の能力ではなく、天皇という地位そのものが重要になるのです。
この動きの中で、天皇家と深い結びつきをもち、律令に基づく官僚政治を推し進めてきた藤原北家が中心とする貴族社会の秩序が構築されていくのです。これを宮廷貴族社会と表現します。
古代における中央政治の流れを大きな視点から捉えることで、「なぜ奈良時代に藤原氏と他氏で政争が繰り広げられたのか?」、「摂関政治が行われた背景はどのようなものだったのか?」といったことが理解でき、より深い学びが得られると思います。ぜひ、復習の一助にしてください。