【指導内容】中世と近世の画期について考える①
だいぶ前に、中世の開始時期についての記事を載せました。
最近、中世から近世にかけての記事をあげていますが、近世の開始時期についても非常に興味深い点があるなと考え、今回は、中世から近世への転換期について焦点を当ててみたいと思います。
時代区分について考えることは、歴史の見方・考え方を鍛える意味で非常に有効な学びです。
中世の開始時期についてもそうでしたが、視点によって、区分のされ方が変わってきます。
中世については、以下の記事を見てみてください。
さて、実際にあるいくつかの学説を見てみましょう。
・1615年の豊臣氏滅亡をもって近世の開始とする。
・戦国時代以降を近世とする。
まず、政治史的な視点で見てみましょう。
中世から近世への転換期として、画期になりそうなことがら
- 応仁の乱 ー 将軍の後継争いに加え、守護大名らの家督争いが頻発し、全国的な戦乱となる
- 明応の政変 ー 細川政権の中で、将軍が廃立・擁立される自体となり、東国を中心に下剋上の動きが活発化する。(近年だと戦国時代の開始の契機としてみられることが多々ありますね。)
- 室町幕府の滅亡 ー 室町幕府が滅亡し、織田信長が台頭
- 秀吉の全国統一 ー 秀吉が全国を統一を果たし、豊臣政権を確立
- 江戸幕府の成立 ー 徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開く
- 大坂夏の陣 ー 豊臣氏が滅亡し、戦乱終了
ざっくりあげてもこれだけのことが挙げられます。さて、上から3つの場合、室町幕府が機能を果たせなくなったことを近世の幕開けとするということですね。一方、下3つは、豊臣政権や江戸幕府などの政権の誕生を近世の幕開けとみなしていると考えられます。
教科書や参考書では、室町時代(戦国時代を含む)と安土桃山時代のところで、中世と近世を分けることが多いように思います。
ここからは私見になります。
織豊政権は、一つのテーマとして取り上げられますが、織田信長の統一事業と豊臣秀吉の統一事業というのは、大きな方向性、目的としては同じであれ、結果としては大きな違いがあったと言わざるを得ないと考えています。
織田信長は、全国的な統一政権として、社会構造を変えるような画期的なことはできていなかった。織田信長がもっと長く生きていればそういうことになっていたのかもしれません。しかしながら、実際はそうならなかったわけであり、巨大な地方政権にすぎなかった。一戦国大名の域を超えなかった。
一方豊臣秀吉政権は、全国的な統一政権として、一戦国大名としての私的な支配を、全国に拡大できた。豊臣秀吉の支配の仕方が、基本的には全国共通のルールとなったわけです。
私的な支配の仕組みを全国に押し広げたのは、江戸幕府も同じです。また、豊臣秀吉の政策によって変化した社会構造は、江戸時代へと引き継がれていく(全てとは言いませんが)ということも考えたときに、「安土桃山時代」という一つの時代のくくり方が、かえって歴史の本質的な部分を見づらくしてしまっているのではないかとも考えてしまうのです。
中世と近世の画期について、次回は別の視点から捉えていきたいと思います。
大学入学共通テストも間近に迫ってきました。共通テストが終わったら、共通テストの解説や考察なども書いていきたいと思います。
少しでも参考にしていただければ幸いです。