受験と日本史を考える

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【指導内容】中世と近世の画期について考える②

今回は、中世と近世の画期について、別の視点から考えていきたいと思います。

 

 

前回は、中世と近世の画期について、政治史的な視点から考えてみました。

 

history16.hatenablog.com

 

 

 

今回は社会経済史的視点で考えてみましょう。

荘園公領制の崩壊

 重層的な土地支配構造から、一地一作人の原則へ、土地支配の仕組みが変化した

身分の固定化

 太閤検地・刀狩・惣無事令・江戸幕府の各種統制などによって支配階級である武士と被支配階級である農民の区別が明確化するとともに、身分が固定化された

 

 

中世を貫く社会の仕組みとして以下のことが挙げられると思います。

荘園公領制と職の体系

土地の支配構造が重層的であり、荘園ごとにさまざまな上位権力をもつ(例えば、有力な公家の所有する荘園、将軍が支配する荘園、守護大名が支配する荘園など)

 

権門体制 

複数の権門(武家・公家・寺社)が、荘園などの自らの経済基盤をもち、相互補完的な関係で権力を行使している

 

 

荘園公領制は、秀吉の太閤検地によって崩壊したと捉えるのが一般的ですが、それより前の時代にも重要な動きがありました。それが分国法による「不入地の否定」です。ただしこれは、戦国大名に広く一般的に見受けられるものではない点に注意してください。

 

守護大名が分国支配をする際、国人層の支配力に依拠せざるを得ない現状がありました。国人層の中には、将軍から直接本領安堵を受けたり、公家権門・寺社権門の荘園の荘官として任じられたりする場合もあり、中世の特徴とも言える重層的な土地支配構造の中において、上位の権力(権門)と関係をもつ例は多くありました。さらには、天皇家摂関家・有力寺社などの所領には守護不入の権が認められており、守護大名の領国内においても、守護大名が介入できない所領が含まれていたのです。

 

戦国大名の今川氏は、「不入地の否定」を分国法に定めており、領国全体の最高支配権を確立しようとした意図が見受けられます。これは、中世的な重層的土地支配構造を変化させうる重要な法とみることができます。

戦国大名は、自らの分国に対して、私的な支配を強力に推し進めました。このとき重要な課題であったのが、自らの私的な支配権をいかに公権力化するかということでした。戦国大名は、分国法を制定し、喧嘩両成敗法などで分国内の裁定権を掌握し、農民を直接支配するとともに、家臣団をを組織化していったのです。

 

織田信長豊臣秀吉は、このある種私的な支配を全国に拡大しようとしたと見ることができます。結果として全国統一を果たした豊臣秀吉は、太閤検地・刀狩・惣無事令などによって、自らの支配権・裁定権を強化し、私的な権力を公権力化していったのです。江戸幕府を開く徳川家康にも同じようなことがいえるでしょう。江戸幕府では、さらにそれを組織的かつ強力に推し進めていくことになります。

 

荘園公領制と職の体系が崩壊し、身分が固定化されていく動きは、戦国時代から織豊政権江戸幕府成立という流れの中で、漸次的にみられるというふうに考えることができるでしょう。

 

 

 

時代区分を考える中で、時代ごとの特徴、その時代を貫く社会の仕組みを捉えることができます。マクロな視点で、抽象的に時代を捉えていくことは、とても大事なことです。

 

普段の授業では、もっと具体的でわかりやすい歴史の動きを扱うと思いますが、そういった抽象的な事柄は、具体的な内容を勉強していく中でじわじわと理解できていくものだと思います。

歴史の学びにとって、具体と抽象を繰り返すことはとにかく大事なことです。

 

 

受験生のみなさん、共通テスト頑張ってください!