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【解説】共通テスト日本史B 第1問の解説① 前近代の貨幣史の重要ポイントも整理します

今回の記事から、共通テスト日本史Bの解説をしていきます。

共通テストは、高大接続改革の目玉ですから、かなりの注目度があったと思います。日本史Bについては、大幅な変更がありえそうだということで、私も注目していました。

 

 

問題の総括は、後々別の記事で書きたいと思いますが、史料・資料の活用に関する問題思考・判断・表現の力、技能に関する問題で工夫がされていたと思いますが、基本的には、これまで同様の解き方をすれば、そんなに点数に影響は出ないのではないかと考えます。

 

体系的な理解具体化と抽象化史資料の読み取りと、基本的なことをしっかりとやっていけば、必ず対応できるテストだと思います。

history16.hatenablog.com

 

 

 

早速第1問から解説していきましょう。

 

 

 

第1問 

 2人の生徒が「貨幣の歴史」をテーマに発表するため、事前学習のために博物館にいったという状況を想定。生徒のメモや会話文をもとに問題文を解く問題です。

 

問1

政策の内容と実際の法令の組み合わせを選ぶ問題。

 

X 国家は、自ら鋳造した銭貨しか流通を認めなかった。

Y 国家が発行した銭貨は、様々な財政支出に用いられた。

 

問題の内容からは、歴史用語がほとんど出てきていません。また、a~dの内容の中に、おそらく学習していないものも含まれていると思います。したがって、政策・法令の目的・内容・結果などの理解が問われていることがわかります。

解答する際には、丁寧に問題文を読んでいくと解けると思います。4つ出されている法令a~dに誤りの内容がありませんので、素直に関連するものを選んでいけばいいでしょう

 

ちなみに

a:大宝律令

b:大宝律令では「徒(労役)」でしたが、蓄銭叙位令によって「斬(死刑)」に

c:蓄銭叙位令

d:大宝律令

による内容です。

 

 

問2

一遍上人絵伝備前国福岡荘の図からの出題です。

 

この図は、基本的に「市の発展」(三斎市)について出題されることが多いのですが、この問題では、

貨幣の流通  ・庶民文化(建築)

が問われています。

a:中世は、宋銭・明銭が多く輸入されていますから、正しいです。平氏日宋貿易以来、多くの宋銭が日本に流入しています。中世の貨幣=輸入銭は実際の授業ではかなり強調しています。

b:ということですから、古代で貨幣の鋳造が停止すると、平氏が台頭する時代から輸入銭が多く持ち込まれるので、貨幣流通は促進されました。したがって誤りです。

c:図をみれば誤りだとわかります。

d:米・布・絹が資料に描かれていることがわかれば、90ページの「咲也さんのメモ」からヒントを得て、正しいと判断できるでしょう。ここにヒントがあることに落ち着いて気付けるかどうかが正解の鍵になりますね。

 

ちなみに、この問題は重要なポイントを示唆してくれています。

中世を通して、日本は輸入銭を用いている(宋銭・明銭)

鎌倉時代農業の発展(牛馬耕・二毛作など)によって、生産量が増加した

余剰生産物の発生は、商業の発展をもたらす

 

すなわち、日本にもたらされた貨幣と、一次産業の発達は、貨幣を用いた商業・流通を発展させたと考えられます。

 

 

問3

室町時代の経済を対外関係と含めて理解できているかを問う問題です。

 

X 撰銭令を出した主体を問われると「え?」ってなりますよね。これは正しいです。戦国大名も、室町幕府も撰銭令を出しています

Y 日明貿易の主導権を争ったのは、細川氏大内氏ですね。実際に衝突した事件を寧波の乱といいます。よってこれも正しい。

 

さて、確かにこの問題は、「撰銭令」と「寧波の乱」を個別で知っていれば、別に難なく解けるのですが、この問題には、

中世の流通や経済・中世の対外関係・中世の権力について考察しよう

というようなメッセージを感じます。

 

問2の解説でも指摘した通り、中世はずっと輸入銭が用いられています。これは、貨幣鋳造権を持てるような、全国的かつ強力な政治主体が存在しなかったためです。当時の上位権力は、朝廷・公家(摂関家)・幕府(将軍)・寺社など、複数の権門に分かれており、それぞれが土地などの経済基盤を持っていました。

 

したがって、輸入された中国銭に加え、国内で生産された私鋳銭も流通し始めます。しかしながら、一般庶民の間では、悪銭・鐚銭(ビタ銭)を使わないようにし、良銭のみを使おうとする撰銭という行為が頻繁に起こります。これは、貨幣の流通を阻害させてしまうため、撰銭を制限するための法令である撰銭令が出されたのです。しかし、やはり貨幣鋳造権を持たない政治主体が、いくら貨幣流通に対して統制令を出してもなかなか効果は出ません。全国的に流通する本格的な貨幣制度は、江戸時代の三貨体制まで待つことになります。

 

さて、室町幕府は、貨幣を明との貿易で入手していました。いわゆる日明貿易勘合貿易です。3代将軍足利義満によってこの貿易が始められますが、4代義持中止し、6代義教再開させます。

やがて、応仁の乱などにより将軍の権威が衰退すると、貿易の実権は、領内に港を持つ細川氏(堺港)大内氏博多港に移ることになります。すると、貿易の主導権を握り、細川氏大内氏が寧波で衝突する。これが寧波の乱になります。寧波の乱では大内氏が勝利し、この後戦国大名化した大内氏は、城下町の山口を中心に、中国地方・北九州を支配し、繁栄しました。

 

このような、政治・経済・外交の一連の流れをしっかりと押さえておくことが、共通テストを解く上でポイントになると考えています。この問題以外にもそうした傾向がみられます。

 

 

問4

江戸時代の小判の重量と金の成分比率の推移を示す問題です。

 

この問題も、グラフの読み取りさえできれば、歴史的知識を必要としなくても解けます

ただし、正確なグラフの読み取りが必要になります。小判の重量金の成分比率という二つの項目を問うていますから、(注)も使って、グラフ全体が重量、そのうち色つきの部分が金の成分比率であるということに留意して問題を解きましょう。

 

ただし、問題を解く上で、理解しておきたい事柄は、

江戸幕府貨幣鋳造権(金・銀・銭)を独占していた

財政の悪化や金産出量の減少に伴い、小判の重量や金の成分比率が変更され、改悪傾向にあった

という点です。

 

また、知識としては、以下のことを復習しておきましょう。

・5代将軍徳川綱吉の時代に財政の悪化が顕著になると、勘定吟味役荻原重秀金の含有量(成分比率)を減らした元禄金銀を発行し、その出目(改鋳差益)によって増収をあげた。一方で物価の高騰(インフレ)をもたらした

新井白石は、慶長金銀と同じ品質の正徳金銀をさせ、貨幣流通量を抑制し、物価引下げを図った

・経済の発展に伴って貨幣需要が高まっていた一方で、金銀産出量が減少していたことで、慶長金銀と同品位の金銀貨を供給することが難しくなった。

徳川吉宗は、元文金銀を発行させたが、これは、貨幣流通量を増大させることを目的としたもので、当初は急激なインフレをもたらしたが、のちに物価は安定した。

※米価を上げることによって、米を換金することで収入を得ていた武士や、米を生産する百姓らの生活を保護することを目的としていたという説もありますが、改鋳で米価だけを上げることは難しいため、米価調節のためとは言い難いと思います。

・開国後、日本には「金銀比価相違」(日本は金:銀=1:5、欧米は金:銀=1:15という交換比率であったこと)の問題によって金貨が大量に海外に流出することになりました。そのため、重量と金含有量を下げた万延小判を発行することになりました

 

 

 

 

次回は、第1問の問5と問6の解説に加え、近現代の貨幣史について重要ポイントを整理していきたいと思います。