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【講義】江戸時代の経済・財政の原理を捉える②

前回に引き続き、江戸時代の経済・財政について解説していきます。

前回の復習はこちらから

 

history16.hatenablog.com

 

・幕府と藩の財政原理

・商品流通の要因

の2点についての解説でしたね。

 

今回は続きです。

 

商品作物栽培

前回は、商品流通の背景を解説しました。今度は、商品流通のしくみです。例えば、畿内の綿・菜種阿波の藍出羽の紅花などの特産品が普及していったのがこの時代です。これは、農業生産力の向上を背景とした余剰生産物です。このような商品作物は、中央の市場を通じて全国に流通していくことになりますが、これは、蔵物とは異なる流通経路をもちます。

 大坂など中央市場の問屋商人は、独自で地方商人を通じて農村から商品作物を集荷します。すなわち、地方商人を仲買として独自の集荷ルートを形成したのです。これを問屋制家内工業により加工し、独自で開拓した販売ルートで販売しました。こうして流通した商品を納屋物といいます。納屋物は、各藩や蔵屋敷を通さない、問屋商人独自のルートで流通したのです。

 こうして、地方で生産された商品作物は、中央市場を介して、加工・販売が行われるため、市場が全国化していくことになります。全国的に同一物資が同一価格で流通することになり、商品流通の地域間格差が解消されていくことになるとともに、納屋物の流通が拡大し、次第に蔵物をしのいでいくことになりました。

 

 

株仲間

近世では座が否定された

株仲間は、「同業者の集団」などと説明されることが多いです。「同業者の集団」といえば、中世もとよばれる集団が登場します。

とは、中世における商工業者の集団で、朝廷や貴族、寺社などの権門を本所として座役や座銭を納める代わりに、営業・流通・販売の独占を特権として与えられた人々です。しかし、戦国大名が領国を一元的に支配しようとする中で、城下町での自由な経営を認める楽市を行う大名も登場していきます。豊臣政権や江戸幕府でもそうした政策が継承される一方、朝廷や貴族、寺社ではなく、豊臣政権や江戸幕府によって特権が与えられた豪商が登場するようになりました。

 

内仲間が発生し、株仲間として公認される

商品作物の栽培が盛んになっていくと、中央市場の問屋商人は、地方商人を仲買として独自の集荷・販売ルートを形成しました。問屋商人は、原料生産から原料の入手、手工業製品の生産、そして販売を、自らで開拓したのです。このように、問屋商人のもとで、地域や業種を同じくする者が集まり、原料生産から販売までをスムーズに行うために仲間(内仲間)が形成されていくのです。江戸の荷受問屋である十組問屋、大坂の荷積問屋である二十四組問屋などは、内仲間の代表例になります。

 こうした内仲間による納屋物の流通は幕府の統制の外にある経済活動ですから、幕府は次第にこれを統制しようとしていきます。幕府は、8代将軍徳川吉宗の頃に、内仲間を「株仲間」として公認しました。

 

幕府は株仲間を用いて経済政策を進めた

徳川吉宗が株仲間を公認したのは、「米価安の諸色高(=米価は安いのにその他の物価は高い)」という状況に対応するためでした。つまり、米価の引き上げや物価の調整を目的として、株仲間を公認し、幕府の統制化に組みこもうと考えたのです。田沼時代には、株仲間を積極的に奨励して、運上冥加を上納させました。一方、天保の改革において、株仲間を解散させますが、これは、江戸の物価高騰を抑える目的でした。つまり、株仲間による独占的な営業が高い物価の原因だと考えたわけです。こうしたことから、株仲間について、以下のことを理解しておくとよいでしょう。

・株仲間は、現代のカルテルに近いものであり、価格決定に影響する存在であった

・株仲間は、幕府や諸藩から営業の独占権が認められた

・株仲間は、営業独占権を認められるかわりに運上・冥加を納めた

・株仲間の公認は、株仲間が幕府の統制に組み込まれることを意味した

こうした株仲間の特徴を押さえておくことで、江戸時代の経済における株仲間や、江戸時代の経済政策の意味が理解しやすくなると思います。

 

まとめ

前回に引き続き、江戸時代の経済・財政について解説をしました。江戸時代は250年以上も続いた比較的安定した時代ですが、その250年の中で社会が少しずつ変化をしていきます。江戸時代の基本的な社会の構造や原理をしっかりと理解しておくことで、江戸時代の様々な事象が納得した形で理解できるようになります。ぜひ、そういう視点を大切にして勉強してください。