受験と日本史を考える

歴史的思考力を高めよう! 日本史・受験・進路・教育・学校etc...

【講義】古代土地制度シリーズ④ 10世紀後半以降の土地制度・荘園公領制

古代土地制度シリーズ第4弾、今回は、10世紀後半の動きと荘園公領制についての内容です。

 

前回の内容では、負名体制の成立まで述べました。徴税請負人として権限が強化された国司と、大規模な土地所有と「名」(=国司によって分けられた徴税単位)の耕作を請け負った名主の関係のことでしたね。

 

 

①開発領主の登場

やがて10世紀の後半頃になると、郡司層や田堵の中に、一定の税を納入するという条件で開発地の私有を国衙から認められるようになった者が出てきます。彼らは大規模な開発地を集積して、一定の領域の土地と農民を支配し、開発領主と呼ばれるようになります。開発領主は主に二つのパターンに分かれます。

国衙ではたらく(=在庁官人となる

国司による徴税から逃れる

 

当時は、国司が徴税を強化していた(=私服を肥やす受領の増加)こともあり、国衙の支配・税の徴収から逃れる開発領主が現れたのです。そのとき使われた技こそ、「荘園の寄進」です。

 

 

寄進地系荘園の登場

開発領主は、私領を縁故がある貴族へ寄進します。土地の権利を渡すという意味で考えてもらえばいいでしょう。なお、寄進された貴族のことを領家といいます。領家は、自身の政治的権力が弱くなったときなどに、さらに上級の貴族や皇族に荘園を寄進することがあります。このとき、「さらに上級の貴族や皇族」のことを本家といいます。領家と本家(=合わせて荘園領主という)のうち、実質的な荘園支配権をもつ方を「本所」といいます。ちなみに、寄進した側の開発領主は、預所下司などの荘官(=現地で荘園の管理を行う)になりました。

 

上級貴族など ー 本家(都にいる)

 ↑寄進

中級貴族など ー 領家(都にいる)

 ↑寄進

開発領主   ー 荘官(現地で荘園を管理)

 

 

このように、租税免除を目的として中央の権力者に寄進して成立した荘園を、寄進地系荘園といいます。

これらの荘園では、不輸・不入の権利を獲得していきます。

不輸とは、税の免除を意味します。中央政府からこれを認めてもらった荘園を官省符荘国司の地方支配が強化されたのちは、国司が不輸を認める国免荘が登場します。

不入とは、検田使(=徴税・検田のための国司の使者)の立ち入りや警察権を拒否することをいいいます。

これら不輸・不入の権を獲得することで、寄進地系荘園は国家から独立・自立した存在となるのです。

 

 

③荘園以外の土地(=公領)は?

さて、みなさんが農民だったら、このような社会の動きに対して、どのようなことを考えるでしょうか?

当然、税を免除される荘園に住みたいですよね。荘園ではない土地を公領(もしくは国衙領)といいますが、公領では、農民が徴税から逃れようと、荘園に逃げ込む動きがでてくるのです。これは公領の荒廃化につながり、国司にとってはピンチになってしまいます。寄進地系荘園国司の管理が及ばず、公領も荒廃化が進んでしまうと、徴税できる土地がなくなってしまうからです。

 

そこで、国司は税を免除するなどの優遇策を実施し、公領の開発を奨励しました。こうした開発地は既存の名とは区別され、「別名」として再編されました。この「別名」とそこにいる農民を合わせて「」という行政単位が誕生しました。従来の郡・郷も再編され、郡・郷・保という行政単位で公領の支配が行われるようになりました。郡・郷・保は、それぞれ郡司郷司保司によって管理されましたが、これらに任命されたのは、在庁官人を務めていた豪族や開発領主でした。

この郡司・郷司という職は代々伝えられ、郡・郷は郡司・郷司の私領となっていきます。しかも、国司もだんだんと任地に赴くことがなくなり目代(=国司代理人)を派遣して、自らは一定の利益を受け取るだけになっていきます。これを遙任国司といい、国衙には目代と在庁官人しかいなくなり(=留守所という)、国司は都にいるだけで収入が入ってくるようになります。国司という身分そのものが「ただのオイシイ利権」になってしまったということですね。現地で土地の支配は行わず収入だけ入ってくるんだから、これでは、荘園を寄進された領家や本家と変わらないですね

 

 

荘園公領制の成立

そうなんです。遙任国司荘園領主は、収入を得る方法がほとんど同じなのです。さらに、荘園の年貢は、領家・本家の手元にいき、公領の年貢は朝廷へといきます。本家は皇族や中央の貴族なわけです。

 荘園=荘園領主の私領

 公領=受領国司の私領(のようなもの)

であり、そこで得られた年貢はどちらも中央のお偉いさんの元へいくのです。下の図を見てお分かりになると思いますが、荘園も公領も、重層的な土地支配の構造を持っており、職の名前が異なるだけで、同じような支配体制を持っているのです。

なお、荘園での預所・公文・下司、公領での郡司・郷司・保司といった職務とそれに伴う収益権のことを「職(しき)」といいます。職は代々受け継がれていき、預所下司などに任じられた中下級貴族や在地の有力者は、中央政界と密接な結びつきを確保していくことになります。

 

このように、荘園と公領が「職」によって重層的な土地支配が行われ、かつ、その土地支配体制がそれぞれ同質であることから、このような土地支配の仕組みを荘園公領制といいます。

 

 

⑤8〜10世紀の土地制度のまとめ

それでは、下の図を使って、8世紀から10世紀後半以降の土地制度の流れを復習しておきましょう。

f:id:history16:20200413221132p:plain

古代土地制度の変遷図

 

中世では、院政期も平氏政権も幕府も全てこの荘園公領制を基盤として、その上で地方支配が行われていきますので、ここをしっかり理解しておいてください。

 

 

古代の土地制度のお話はひとまず以上になります。(結構書くの大変でした…)

今後、共通テストでも、手を変え品を変えあらゆる角度から土地制度について問うてくると思います。重たい内容ですが、「古代土地制度シリーズ」を参考に、確実な理解をしておくようにしましょう。