受験と日本史を考える

歴史的思考力を高めよう! 日本史・受験・進路・教育・学校etc...

【講義】幕藩体制の原理を捉える②

前回に引き続き、幕藩体制の解説になります。

今回は、主従制の原理に焦点を当てて解説していきたいと思います。

 

 

前回の復習はこちらです。

 

history16.hatenablog.com

 

前回の講義を簡単におさらいしておくと、

・幕府は大名に対して強い統制力を持った(=中央集権的性格)

・一方で、大名は独自の領内経営が可能であった(=地方分権的性格)

・俸禄制によって、大名の家臣は大名への依存が強くなった

 (=大名の一元的な領内経営が可能となった)

 

ここまで確認をしたところで、今回の内容に入っていきましょう。

 

 

私的な支配権の公権力化

さて、江戸幕府武家政権です。戦国時代以降、各大名は自らの領内における私的な支配権を公権力化する動きを見せていたことは、過去記事でも解説した通りです。

 

history16.hatenablog.com

history16.hatenablog.com

 

江戸幕府も同様、本来は、徳川家の私的な支配を、これまでの武家政権以上に極めて強力かつ組織的に公権力化していったものであると捉えてよいでしょう。したがって、結局のところ、武家の支配原理は、どこまでいっても「封建的主従関係」(あるいは主従制の原理)なのであり、江戸幕府も根本的な原理は「封建的主従関係」なのです。

 

 

主従関係にはたらく原理

主従関係は、本来、個人と個人の関係として成立するものです
ですから、
大名の代替りに際しては、改めて知行目録・朱印状を交付する印知を行って主従関係を再構築します。将軍が代替りした際には、武家諸法度の発布を行い主従関係を再構築するのです。
末期養子の禁止についても、主従関係の原理に従うものです。末期養子とは、後継ぎのいない大名が危篤になった際、急いで迎えられた養子のことです。主従関係は、個人と個人の関係で成立するものですから、自動的に世襲されるようなことはありません。そのため、後継ぎは生存中に申し出ることが義務でした。したがって、主従の礼をとっていない末期養子へは相続できなかったのです。

 

 

主従関係の変化

3代将軍家光から4代将軍家綱の頃には、幕藩体制が整っていきます。幕藩体制の安定化に伴い、主従関係は将軍家と大名家との家と家との関係として捉えられ、固定化されていきます。

慶安の変(1651年)以降、

末期養子の禁の緩和
殉死の禁止
・大名証人制の廃止
寛文印知(全国一斉の印知)

末期養子の禁については上記の通りですが、これが解禁されたということは、将軍家と大名家の関係が固定化されたことを意味します。つまり、将軍と主従の礼をとっていない末期養子がこれまで認められなかったのは、将軍個人と将軍に仕える大名個人の関係が重視されていたためです。これが認められるようになったということは、将軍と大名の主従関係が固定化・永続化されたこと、幕藩体制が安定したということを意味します。

殉死の禁止についても同様に、将軍家と大名家の関係の固定化を意味します。殉死とは、主君の死に際してその従者が後を追って自害することです。これを禁止するということは、従者が主君個人に仕えるのではなく、代々の主君、つまり主家に仕えるという主従関係を表すわけです。これも、主従関係の固定化・永続化を意味する政策ですね。

名証人制とは、幕府が大名から人質をとって江戸に住まわせた制度です。これも、将軍家と大名家の主従関係が安定し、下克上が起こらない(起こる可能性が極めて低い)ということで廃止になったのです。

寛文印知は、全国一斉に発給されたということがポイントです。これまでの印知は、それぞれの大名の代替わりに際して、個別で出されていたのですが、寛文印知は一斉の発給です。つまりこれも、主従関係が将軍家と大名家の間で固定化・永続化したことを意味するのです。

 

 

主従関係と幕府の政治機構

幕府の政治機構は、御恩と奉公の関係に集約されます。

・役職は武士身分によって独占される
・役職の任命権は原理的には将軍にあった
・役職に就いて職務を遂行することは、御恩に対する奉公であった
武家社会の階層秩序が反映される(家格と知行)

役職は武士身分によって独占されます。つまり、将軍と主従関係を結んだ武士によって政治機構が構成されました。そして、役職の任命権は原理的には将軍にありました。役職の任命は、「御恩」と捉えられます。一方、役職に就いて職務を遂行することは、御恩に対する奉公でした。ちなみに、職務の遂行は御恩に対する奉公ですから、職務遂行に必要な経費は自己負担になります。また、幕府の政治機構には、武家社会の階層秩序が反映されました。つまり、役職に相応しい家格と知行(家禄)が必要だったのです。

 

 

まとめ

今回は、幕藩体制の原理として、主従関係に着目して解説をしました。江戸幕府武家政権ですから、やはり根本的には武家社会の主従制が原理としてはたらいていました。ただし、これまでの個人と個人の主従関係から、家と家との主従関係への変化については、江戸時代の特徴的な変化になりますので、しっかりと押さえておきましょう。