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【講義】江戸時代の経済・財政の原理を捉える①

今回は、江戸時代の経済・財政についての解説です。

前回は幕藩体制についての解説ということで、政治史的な内容が中心でした。

 

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今回は、経済・財政の側面から江戸時代に働く原理や社会のしくみを明らかにしていきたいと思います。

 

 

藩の財政原理

 江戸時代の幕府・藩に特有の財政の構造として、

・歳入→年貢(原則米納)

・歳出→職務遂行や参勤交代の経費(貨幣支出)

ということを理解しましょう。つまり、幕府や藩は、米で収入を得て、貨幣で支出をします。これは、年貢米を売って換金しなければならないことを意味します。

すると、各藩では、その藩内だけで経済が完結できません。まず、貨幣鋳造権を幕府が握っているため、藩外の市場で米を売る必要があります。また、農民が自立し、自給自足的な本百姓体制が確立してくると、藩内に大きな市場がなくなります。したがって、需要の大きな市場で売る必要があるのです。

 

大坂は、瀬戸内航路の終着点に位置するとともに、高度な手工業生産で知られる京都と河川交通で繋がっていることから、全国の品々が集まってくる重要拠点でした。そこで、各藩は、大坂に蔵屋敷を設け(一部は江戸などにも蔵屋敷を設けることもありましたが)、年貢を売却して換金するシステムを作り上げのです。こうして、各藩からの年貢が蔵屋敷を通じて流通したもの商品を蔵物といいます。

大坂は、中世から重要な港として、商人が集まる地であったということや、軍需品や奢侈品などの高度な手工業製品を自給できない各藩にとっても一大マーケットになり得ることなどの要因も相まって、必然的にモノが集まる重要拠点となったのです。

一方、江戸は、多くの幕藩領主や旗本・御家人が居住する最大の消費地であり、上方から南海路を通じて「下り物」が供給されるようになりました。

江戸近辺では、この莫大な消費活動を支えるだけの手工業が発達していません。つまり、江戸においては、上方からの供給に依存せざるを得ず、商品が不足しがち(=需要超過)なため、物価が上昇しやすい構造があったことがわかります。

 

 

商品流通の要因

江戸時代は商品流通が加速した時代ですが、商品流通が加速するにはいくつかの条件があります。

・余剰生産の拡大

・流通網の整備

・貨幣流通量の増大

 まず、余剰生産の拡大について解説します。太閤検地以来、農民の自立が進んできており、自作農による小農経営が確立していきます。さらに、江戸時代初期から寛文年代にかけて、新田開発によって急速に農地が拡大したことも、農民の自立を促しました。自立した農民は、意欲的に生産力を向上させようとしたため、農業の集約化・多角化が進み、農業技術や農学が進歩することになりました。こうした農業の集約化・多角化・生産力向上は、余剰生産物を生み出すことにつながります

 次に、流通網の整備についてです。江戸と上方をつなぐ南海路では、頻繁に廻船が行き交いました。さらには、河村瑞賢による東廻り航路西廻り航路の整備によって、全国的な海上交通網が整備されることになりました。

 貨幣流通量の増大については、元禄年代に勘定吟味役荻原重秀元禄金銀の鋳造を開始したことが大きな契機となります。元禄金銀の鋳造は、金含有量を減らした改鋳ですから、貨幣価値の下落通貨供給量の増加をもたらします。通貨供給量が増加するということは、物価が上昇(=インフレ)をもたらすわけです。

こうした、余剰生産の拡大・流通網の整備・貨幣流通量の増大を要因として、商品流通が加速していくことになります。

 

 

次回もこの続きで、江戸時代の経済・財政の原理について解説していきたいと思います。