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【解説】共通テスト日本史B 第1問の解説② 近現代の貨幣史重要ポイント総まとめ

前回に引き続き共通テスト日本史B第1問の解説です。

 

 

history16.hatenablog.com

 

 

 

 

問5

明治期の経済(通貨体制)に関する問題です。

 

基本的な政治史の流れがつかめていれば、さほど問題なく解けると思います。

1868年 明治維新

 →廃藩置県・殖産興業など

1873年 明治六年の政変

 →首班:大久保利通 士族の反乱・自由民権運動の開始

1877年 西南戦争(→不換紙幣の増発によるインフレ

 →首班:伊藤博文 言論による民権運動・松方財政→激化事件

1885年 内閣制度

 →民権派の大同団結・初期議会(吏党VS民党)・明治憲法公布

1894年 日清戦争

 →政府と民党の提携・金本位制の確立・朝鮮への進出

1904年 日露戦争

 →桂園時代・韓国併合満州経営

 

Ⅰ 銀本位制の確立=松方財政

Ⅱ 金本位制の確立=日清戦争後、下関条約の賠償金⇨貨幣法第2次松方内閣

Ⅲ 戦費調達のための不換紙幣=西南戦争のために不換紙幣増刷(大隈財政

 

ということですから、Ⅲ→Ⅰ→Ⅱということになります。

貨幣制度史は、政治史や外交史ともリンクしますので、関連付けておさえておくとよいでしょう。

 

補足です。

1868年 太政官発行(建議:由利公正

1869年 民部省発行

1871年 新貨条例(建議:伊藤博文

 →建前は金本位制だが実質は金銀複本位制

  円・銭・厘の単位・十進法を採用

1872年 国立銀行条例(起草:渋沢栄一

 →第一国立銀行など4行が開業 兌換銀行券の発行

輸入超過で金銀流出・西南戦争の戦費調達

 

《大隈財政》

1876年 国立銀行条例改正

 →正貨兌換義務の廃止→銀行数増加(153行 1879年)

 →不換紙幣の大量発行(インフレ発生)

 

《松方財政》緊縮財政と紙幣整理

1882年 日本銀行設立

1883年 国立銀行条例再改正

 →国立銀行の紙幣発行を禁止

1884年 兌換銀行券条例

1885年 日本銀行が銀兌換銀行券を発行

 →銀本位制の確立

 

金本位制と日本》

1895年 下関条約で賠償金獲得

1897年 貨幣法(松方①)

 →金本位制の確立

1905年 ポーツマス条約で賠償金をもらえず

1914年 第一次世界大戦勃発

1917年 金輸出禁止金本位制停止(寺内)

1920年 戦後恐慌が始まる

1923年 関東大震災

1923年 震災恐慌が始まる

 →震災手形の決済が進まず

1927年 蔵相片岡直温の失言で取り付け騒ぎ発生

1927年 金融恐慌発生

 →東京渡辺銀行の休業 台湾銀行救済緊急勅令案

1927年 モラトリアム発令(田中)蔵相高橋是清

1930年 金輸出解禁(浜口)蔵相井上準之助

 ・旧平価 100円=49.85ドル

  新平価 100円=46.46ドル

 ・旧平価での解禁→円高により輸出減

1931年 金輸出再禁止 蔵相高橋是清

 →管理通貨制度円安を利用し輸出増進

         (ソーシャルダンピング)

 

《戦後日本と貨幣制度》

品不足と通貨流通量急増で激しいインフレ

1946年 金融緊急措置令(幣原)

 →旧円禁止・新円の払い出し制限

 →通貨流通量を収縮→物価下がらず

~1948年 占領政策の転換~

1949年 ドッジ=ライン(吉田)

 →1ドル=360円の単一為替レート

 =円安(輸出増)

1950年 特需景気(吉田)

1955年 神武景気(鳩山)

 →以降高度経済成長

1960年 所得倍増計画(池田)

1963年 GATT11条国に(貿易自由化)

1964年 IMF8条国に(為替自由化)

1964年 OECD加盟(資本自由化)

1971年 ニクソン=ショック

 →円切り上げ(1ドル=308円)

1973年 変動相場制に移行

1985年 プラザ合意

 →円高進行

 

 

問6

日本の通貨の歴史についての知識・理解を問う問題ですね。

 

この問題では、a・bが前近代の貨幣史、c・dが戦後の貨幣史についての文で構成されているため、それぞれ別個に扱っていきます。

 

a 中世では私鋳銭が多く用いられていました。撰銭撰銭令などの知識があれば、容易に解けるでしょう。

b 近世の三貨体制では、金銀の改鋳は何度も行われていますが、銭貨に関しては、寛永通宝が幕末まで広く流通していました。(なんなら清国でも流通していたぐらいです。)

 

図3の新聞記事は「1947年5月3日」です。

 

戦後日本の最初の画期は、「1948年1月」です。米陸軍長官ロイヤルが「日本は共産主義の防壁」であると演説を行ったのです。つまり、冷戦構造の中で、アメリカは、日本の国力を高めて東アジアにおける西側陣営の主要友好国にしようと考えたのです。これにより、

・政治の安定・強化(共産党弾圧)

・経済復興(経済安定九原則など)

再軍備警察予備隊設置)

などの方向性が固まっていくことになります。

 

新聞記事は「1947年5月3日」日本国憲法施行の頃ですから、まだ第一次吉田内閣(社会党民主党に政権が移行する前)ですね。第二次吉田内閣以降、アメリカの方針転換に伴い、1948年の経済安定九原則、1949年のドッジ=ラインシャウプ勧告と、経済復興、経済的自立を目的とした政策が次々と打ち出されていくことになります。

 

c 旧円禁止・新円の払い出し制限などを定めた金融緊急措置令1946年に幣原内閣で出されたものです。インフレの抑制を期待して出されたものです。

 

d 1ドル=360円の単一為替レートは、1949年ドッジ=ラインで唱えられたものですから、この新聞記事の頃ではありません

 

 

1948年1月のアメリカの方針転換とその影響は、しっかりと押さえておきましょう。戦後史が整理しやすくなります。