受験と日本史を考える

歴史的思考力を高めよう! 日本史・受験・進路・教育・学校etc...

【指導内容】「日本史」を新教育課程の中でどう扱うべきか

高校では、平成30年に告示された学習指導要領が、いよいよ次年度から実施されます。

 

重要なポイントを少しだけ整理しておきましょう。

 

新学習指導要領の要点

コンピテンシー重視の教育

よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創る”という目標に向け、「社会に開かれた教育課程」の実現を目指すために、次の6点にわたって、学習指導要領の枠組みが改善されました。

  • 「何ができるようになるか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」
  • 「子供一人一人の発達をどのように支援するか」「何が身に付いたか」
  • 「実施するために何が必要か」 

 

⑵コンテンツとコンピテンシー

その中でも強調されているのが、「何ができるようになるか」という観点です。「生きる力」をより具体化し、育成を目指す資質・能力を明確化したのです。

  • コンテンツ・ベース ー 教員が何の内容教える
  • コンピテンシー・ベース ー 学習者がどのような資質・能力身につけた

コンテンツ・ベースとコンピテンシー・ベースは、その名の通り、教えるべき内容に着目するのか身につけるべき資質・能力に着目するのか、という対比関係にあります。また、主体が異なることにも留意すべきです。

これまでの学習指導要領と大きく異なる点は、コンピテンシー重視の性格が非常に強く表されていることだと考えます。

 

⑶育成を目指す資質・能力とは?

「何ができるようになるか」(=育成を目指す資質・能力)は、「学びに向かう力・人間性」・「知識・技能」・ 「思考力・判断力・表現力」の3つにまとめられています。

・学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養

・生きて働く「知識・技能」の習得

・未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力」等の育成

 

 

 

さて、ここから本題です。

 

日本史と新指導要領の考え方はそもそも相性がよくない

日本史(歴史科目全般と捉えて差し支えないです。以下、歴史科目全般に読み替えても構いません。)は、そもそもコンテンツ・ベースであるという科目上の特性があると考えています。何かを学習し、考察したり、説明したり、議論したりするために、様々な個別的な知識が必要になるのです。

 

例えば数学という科目であれば、公式や定理からさらに定理が導き出されるように、概念的な知識が積み上げられていくような垂直的な思考によって構成されています。理科の原理や公式、国語や英語の文法も、垂直的な思考の要素が強くなります。垂直的思考では、特定の事実に基づいて、論理的に、あるいは分析的に、思考を深めていくことになります。

 

しかしながら、日本史では、時代(時間)や地域(空間)によって極めて多様な歴史的な事象が存在します。したがって、歴史的な事象は、他の事象と比較したり、他の事象との因果関係や相互のつながり(関係性、影響)などに着目したりと、様々な視点で捉えることになります。ですから、他教科に比べて水平的思考の要素が強くなるのです。

ちなみに、日本史には、「システム思考」も有効であるという意見もあります。システム思考とは、直面する問題を局所的に捉えるのではなく、問題の背景や様々な要因の相互関係(=システム)を理解する思考のことを言います。

 

コンテンツ・ベースとコンピテンシー・ベースのはざまで

ただし、強調しておきたいことは、日本史についても垂直的思考が必要不可欠であるという点です。たしかに日本史においては、個別的な知識を多く含みますが、一つ一つの知識はさまざまな形で関連し、それらを統合していく中で、概念的な知識を得ることができます

「知識基盤社会」の到来や、インターネットなどの発達によって、知識を得ることよりも、知識を適用する能力(リテラシー)が重要になった。

ということが、新指導要領でコンピテンシーが重視された背景の一つです。しかし、「知識」というのは、単に得るもの、適用するものではないと考えます

 

知識は他の知識とさまざまな形で結びつき、それらが組み合わされていくと、より抽象度の高い知識である、概念的な知識を得ることができます(=知識の概念化)。概念化された知識は、事実的知識よりも、普遍性あるいは一般性を持つため、他の文脈への転移することもできるでしょう。知識というのはこのように深さの軸をもったものであると私は考えています。

また、知識の概念化は、単に拾ってきた知識を集めるだけで可能となるものではなく、得た知識を、他の知識と結びつけたり比較したり、あるいはすでに身につけている事実的知識や概念的知識と結びつけたり比較したりするなど、思考する中で起こることです。場合によっては、「ひらめき」のように、ふとしたことがきっかけで知識が概念化されることもあるでしょう。こうしたことは、頭の中に知識がインプットされていないと起こりえないのではないでしょうか。

たしかに思考力・判断力・表現力といったコンピテンシーは重要ではありますが、コンテンツ自身も、決して軽視されてよいものではなく、教員が精選しながら、適切な形で伝達する必要があると考えるのです。

 

学びに向かう力・人間性

 結論から言えば、私自身は、この力を授業の中で最も重視しようとは思いません。教育活動全体の中で、生徒自身が身につけていくものだと考えます。もちろん知識・技能、思考力・判断力・表現力に対しても同じことは言えると思います。しかしながら、学びに向かう力は、学ぶ楽しさや知的好奇心、興味・関心によって身につけていくものであり、学ぶ楽しさは、

  • 学ぶことによって得られるものであるということ
  • 個人個人、楽しさの度合いや実感するタイミングが異なるということ

という点において、知識・技能、思考力・判断力・表現力とは異なると考えるのです。したがって、学びに向かう力・人間性というのは、身につけるべき資質・能力として目標に掲げることの必要性は充分にあると思いますが、あくまでも、それを計画的に意図して身につけさせることは、極めて難しいということです。教員があの手この手で仕掛けを作りながら辛抱強くアプローチをしていく中で、生徒は内発的に、学ぶ楽しさを実感していくのではないでしょうか。

 

まとめ

とりとめもなく書いてみましたが、新学習指導要領と歴史科目の関係はよくよく考えておくべきではないでしょうか。自分も、理論と実践をいったりきたりして試行錯誤を重ねながら、よりよい教育が行えるようにしていきたいと思います。これまでも「歴史学歴史教育」みたいなテーマでずーっと議論がありますが、なかなか答えが出ないものです。考え、実践し続けることこそ唯一の道だと改めて感じます。