受験と日本史を考える

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【指導内容】中世はいつから始まった?②

「中世はいつから始まった?」 つづきです。 

 

 

このテーマを取り上げる際の論点としては、

①政治史的な視点で捉えるのか、社会経済史的な視点で捉えるのか

②古代と中世をそれぞれどのように定義するのか

ということが挙げられると思います。

 

そして、中世社会の特徴と考えられるものとして、以下のものを挙げました。

(①王朝国家体制)

 ②荘園公領制

 ③権門体制(イエの確立)

 ④公武二元的支配体制

 ⑤職の体系

(⑥武家政権の全国的支配)

 

今回は、この①〜⑥の特徴について取り上げていきたいと思います。

 

①王朝国家体制

王朝国家体制の特質をまとめてみましょう。

律令国家体制の根幹であった個別人身支配が放棄され、土地に対する課税・支配を原則とした

・現地の富豪層(田堵)が、租税収取の基礎単位である名田の経営と租税納入を請け負った(=負名体制

・地方の軍団制も健児制も機能しなくなり、軍事警察権を国司に委任した(=国衙軍制

すなわち、律令体制が崩壊していく中で、社会の実情に合わせた形で税制・軍制を整備し、王朝国家が成立したと考えることができます。

しかし、これらの体制も、荘園公領制の成立、院政の開始、武家政権の登場で、大きく国家の体制が変わっていったため、中世という時代を貫く特徴であるとは言えないでしょう。ただし、

  王朝国家体制は、律令国家が漸進的に修正されて成立した体制である

とみるべきか、

  王朝国家体制は、律令国家とは全く異質の体制である

とみるべきかによって、中世の開始時期の設定に影響が出てくると思います。

 

 

荘園公領制

大規模な墾田開発とその経営を行っていた開発領主層が、租税免除を目的として荘園を貴族や寺社に寄進するようになると、受領国司は公領を郡郷保に再編成します。荘園と公領がどちらも重層的な土地支配が行われ、かつ、その土地支配体制がそれぞれ同質であるということから、この支配構造を荘園公領制といいます。詳しくは、こちらのページ

history16.hatenablog.com

を参照してください。

 

 

③権門体制(イエの確立)

これは、中世をどう捉えるかという問題につながってくる要素です。すなわち、中世を権門体制論で捉えるか、東国国家論(二つの王権論)で捉えるかという問題です。

権門体制論

公家権門、武家権門、寺社権門がそれぞれ荘園を経済的基盤として、相互補完的な関係によって権力を行使していたという考え方です。この考え方では、あくまでも天皇が国家の国王として位置しているとされます。

東国国家論

鎌倉幕府を東国における朝廷とは独立した独自の特質をもつ、朝廷とは別の国家とする考え方です。そうすると、天皇と将軍をそれぞれ別の国家の国王とみなすことができます。

 

あらゆる教科書を比較したわけではありませんが、基本的に教科書では、権門体制論を基礎として、あるいは、権門体制論の影響を受けた記述の仕方がされていると思います。

権門体制論では、上述のとおり、公家権門武家権門寺社権門がそれぞれについて、

・中下級貴族らを私的な主従関係のもとに組織するとともに、荘園や知行国私的な経済基盤として持っている(経済的な権勢をもつ)

特定の権力について行使している(政治的な権勢もつ)

私的な家政機関を整えてそれぞれの家を経営している

ということがいえます。私的な関係を基礎に土地や農民、被官らを経営する権力者だといえますね。

 

また、平安時代中期から官職や職能が特定の家系に固定化していく「家業の継承」が急速に進展していきます。外戚関係を問わずに摂政・関白に就く家(=五摂家)、公卿に昇る家、軍事を専門とする家など、イエごとに家業が限定・固定化されていくのです。これも平安時代の終わり頃から室町時代にかけてみられる社会的特徴ですね。

 

④公武二元的支配体制

(=朝廷、貴族、大寺社)

朝廷は国司を任命して、全国の地方行政を統括する立場であり、貴族や大寺社も荘園領主として大きな力をもっていました。

(=武家鎌倉幕府

将軍は日本国総守護・総地頭として、守護・地頭の任命権を有していました。(一方で、朝廷に対し、治安維持や年貢納入の義務がありました。)

 

すなわち、朝廷(や貴族・大寺社)と幕府、支配する主体がふたつ存在したということになりますね。ただし、これも、先ほどの権門体制論と関係で、幕府という存在をどういうふうに位置付けるのかについて、社会の見方が変わってくると思います。

 

⑤職の体系

これに関しては、②と密接にリンクするお話ですので、こちらのページ

history16.hatenablog.com

を参照してください。

 

武家政権の全国的支配

中世を、武家政権が(封建制度を基盤に)日本を支配した時代と捉えるのであれば、(かつ、政治史的側面から時代区分を捉えるのであれば、)こういう要素を考えてもいいのではないかと思います。ただし、何を持って全国的支配を確立したのかという問題がでてきます。これも定義の仕方によって、いくつかの説が出てくるのではないでしょうか。

承久の乱以降

・蒙古襲来以降

足利義満の時代(=室町王権の成立)

などですね。

 

 

このようなことを提示していくと、多面的・多角的な見方で、古代から中世にかけての時代を学ぶことができるようになるのではないでしょうか。

 

個人ワークで、古代から中世の画期と、それを考えた根拠を書かせ、対立する意見でディベートを行ってもよいですね。

 

その際は、教員はファシリテーターとして、論点の整理をしながらまとめていく必要があります。ただし、あくまでも一つの見方・考え方に絞らせず、多面的・多角的な視点を与えることを意識するべきだと考えます。

 

 

歴史の授業は、一つの見方・考え方に絞ることで、非常にわかりやすい講義を行うことができますが、このように多面的な視点を扱おうとすると、授業者側のハードルが一気に上がります。

しかし、あくまでも、中等教育段階の歴史教育ということを考えると多面的な視点を意識しながら授業に取り組むことは極めて重要であると考えています。